2009年3月11日水曜日

提出した寸評。

シミュレーショニズム 椹木野衣
本書は1980年代に勃興し、1990年代を蹂躙し、2000年代の今なお多大な影響を与える、シミュレーショニズムに関する、1991年時点での批評である。シミュレーショニズムとはサンプリング、カットアップ、リミックスを基本とし、暴力的なまでに既存の素材を脱構築することによって表現を成立させようとする思想だ。また著者の椹木野衣はキュレーターとしても活動しており、評論家に留まらない横断的な活動をする人物と言える。この実状に対する経験を備え、なおかつ広範な教養を基礎とした批評は、まさに私の目指す一つの理想的なモデルでもある。
誤解を恐れずに言うならば、私は今までこれほど説得力のある批評を読んだことがない。それではなぜこの批評はこれほどの説得力を持ちえたのだろうか。私はその大きな要因に著者の露悪的なまでの開き直りがあるのではないかと思う。著者は導入から「恐れることはない、とにかく盗め」と熱情的に語る。この詩的なまでの表現は、書かれている内容の過激さと相まって、読者に強烈な印象を植え付ける。そして次々に展開される言葉は、決して感情的になりすぎることなく的確に状況を分析していく。さらにその言葉に対する個別具体例として、ひっきりなしに膨大な引用がなされている。そして私が最も露悪的で説得力があると思うのは、この暴力的なシミュレーショニズムという思想に対して、著者が肯定的であり続けるという姿勢である。普通、人は新しく現れた暴力的な存在に対し、否定的な姿勢をとろうとする。しかし著者は本書の中で肯定的な姿勢を崩すことは無い。それはこのシミュレーショニズムに対する絶対の確信であり、読者はその絶対的な確信の姿勢から説得力を感じるのである。

2009年3月6日金曜日

自作引用4

さらばランボー、街角のファミレスでウェイトレスをする母親ぐらいの女。
フィクション、ノンフィクション、酔いどれ詩人とヤク中から化石みたいな埃っぽさ。
電車で眠るカップルの男に目が行くヤツは不幸を噛み締めろ。
上着はボロボロの癖に肌はツヤツヤな女がモダンタイムを踏み荒らす。
奴の名はガートルードステイン!
ガートルードステイン!ガートルードステイン!ガートルードステイン!
切り裂きジャックより狂暴な心が猟奇的な彼女をあざ笑う。
オーマイゴッド、付け焼き刃だけで戦うならオススメは木刀だ。
そいつを持って本門寺に殴り込み御会式を凌駕する騒音で鐘を鳴らせ。
俺が狂い叫び、笑い泣き、打ち壊し、投げ捨てる、やがてなくなるものたちが奴の名を消す。
奴の名の名はガートルードステイン!
ガートルードステイン!ガートルードステイン!ガートルードステイン!

2009年3月2日月曜日

一週間程、更新が空いた。

俺は普通の人に比べて記憶力が悪いらしい。色々と考えた結果そう思った。一歩間違えれば若年生健忘症ではないかと思うぐらいである。なにせ高校一年の時に自分が何をしていたのか全く記憶がないのだ。高校二年は怪しいが少し残っている。しかしそれ以前になると残っている資料を見ないと何も思い出せない。そして更に驚くべきことは、その事実に気がついた時に俺は異常な恐怖で汗が止まらなくなったと言う事だ。まるで気付いては行けない事に気付いてしまったと言わんばかりに、体は不安を訴えている。これは紛れも無く恐怖である。いまでも自分が消えてしまいそうな恐怖に怯えてキーを叩いている。もしかして俺は物凄く鈍感だったのかもしれない。なぜいままでこんな恐怖に気付かずに生きて来たのだろうか。まるで自分が存在しなかったかのように、何も残らないような人生を俺は生きているのだ。それともこれは気付いてはいけなかったのだろうか。気付かない事で自我を保てるということなのだろうか。強烈な不安感から体中がおかしくなっている様な気さえする。時折、頭痛が襲って来る。いったいどうしたというのだろう。情緒不安定だ。一週間程、あまり家からでないで考え事をしていたからかもしれない。外に出て体を動かす事だ。そうするべきだ。もしこの日記を読んだ人で、俺に記憶が無いのが一般的かどうか答えられる人が居たら連絡して来て欲しい。俺はどうすれば良いのか解らず莫大な空白の時間の前で立ち往生している。迷子と同じ気分だ。いますぐにでも涙が出そうだ。いったいどうしたというのだろう。まるで解けるかの様に自分が消えてしまいそうな気さえする。俺には強烈な記憶が何一つ無い。俺は刺激的な人生を送ろうと果敢に挑戦して来たつもりだった。しかし俺には強烈に残っている記憶は何一つ無い。だから全てが断片にしか思えないのだ。次から次へ断片だけが量産されて行く。核となる部分が一つもない。唯一覚えているのは飼っていたハムスターと小鳥が死んだときのことだ。でもそれすら具体的な年度がわからない。その程度か、俺の人生は。いったいどうなってるんだ。このまま消えた方がいっそ幸せに思えて来る。明日から何かを探す気になれない。探したのではなかったのか。ここ十年間。探し続けた筈だった。しかし断片以外何も残っていない。あれはいつのことだったのだろう。何も覚えていない。確かな事なんて何も無かったのではないか。もしかして全て夢だったのではないのか。だれか永劫続くこの世界から俺を救い出してくれ。いつまででもこうして書いていられそうだ。それなのに書いた先からすべてが消えていってしまいそうだ。とにかく誰か連絡をくれ。俺をこの退屈な日常から救い出す連絡をくれ。退屈な日常は忘れられて遂には何も残らない。そんな世界に生まれたのだとしたらあとは絶望しか残っていない。いい加減に待ちくたびれた。誰か連絡を。