2010年3月18日木曜日

監視社会。

監視社会である。日本における地下鉄サリン事件、アメリカを発端として全世界に波及した同時多発テロ。それらを経験して世界はますます息苦しさを強めつつある。しかし監視体制を厳しくするばかりでその内実は伴っているのだろうか。特に我々日本人はカメラやGPSを付けておくだけで安心になった気になってはいないだろうか。あればいいというグランドヴィジョンの見えない方法論では、プライバシーが記録された映像へのリテラシーが低いままである。ではどうするべきか。私は監視カメラによるプライバシーの流失を体感することを提案する。大衆にとって監視された自分を見る機会は皆無のはずである。プライバシー保護の観点から例え自分が映っていようとも監視カメラに記録された映像を一般の人に見せることは出来ない。(現に我が武蔵野美術大学においても私が監視カメラの記録を見せてもらえる様に頼んだが断られた。)このリアリティの欠如した現状が盲目的に監視の体制を強めていると確信する。今回卒業制作においてはWEBを媒介にし、展示会場外でリアルタイムに映像が流出するインスタレーションを制作したい。
また政治的な発想になってしまうかもしれないが、拡大解釈すればアンチ監視社会はアメリカ式プラットフォームに対するアンチテーゼへとたどり着く。それは一つ作家としての思想的立場になりうるであろう。私は今回、その立場にもコミットメントしようと考えている。卒業制作という「学生」という立場での制作としては最後の課題において、私はこれから私が飲み込まれる社会というものに対して、不完全ながらも何らかの答えを提出したいと考えたからだ。これは私が学生という立場から放つ最後のあがきであり、だからこそ卒業制作という社会へと旅立つ前に行わなくてはならない総仕上げとなる。

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