2009年8月7日金曜日

さあ、芸術を殺しに行こう。

意味を求める人間は、何か行動を起こすために、動機を必要とする。
そして、何も行動を起こさないことは、死んでいるのと同じことだ。

俺はこの一年間、これから必要になるであろう、横断的な武器と客観的な視点を手に入れるために、生きていることをやめた。全ての価値をそこに見出して、行動原理とした。そして時は満ちた。そう思う。

さあ、芸術を殺しに行こう。

明治維新の時に外来種として日本に寄生した芸術を、先人たちはおっかなびっくり生かし続けてきた。その結果として現在、日本では息も絶え絶えな芸術にどうにかして餌を与えて生かしている。

さあ、芸術を殺しに行こう。

日本には真理などなかった。
はじめから必要なかったのだ。
私たちはそれに気づかなければならない。

さあ、芸術を殺しに行こう。

俺たちは実験し、感染し、傾倒し、笑いつくして今日に至った。
西洋かぶれとキチガイ沙汰だけがかろうじてそこに残された存在ならば、それはもはや必要ないし破壊する以外に救いは存在しない。

さあ、芸術を殺しに行こう。

作家をみよ。絵画をみよ。漫才をみよ。演劇をみよ。学問をみよ。音楽をみよ。彫刻をみよ。建築をみよ。写真をみよ。舞踏をみよ。
村上春樹を、村上隆を、あらびき団を、野田秀樹を、宮台真司を、岡村靖幸を、イサムノグチを、安藤忠雄を、篠山紀信を、上野隆博を、みよ。
西洋かぶれとキチガイ沙汰をしかと目に焼き付けよ。

さあ、芸術を殺しに行こう。

あるいは、俺は保守的なのかもしれない。
しかし真に革新的であるならば必要なのは更地だと気づくはずだ。
新しくそこに何かを創造するには綺麗な場所を用意しなければならない。

さあ、芸術を殺しに行こう。

必要なのは自身すらも保持できるかわからない徹底的な破壊である。
そんなことはお前の仕事じゃないと言われるかもしれない。
しかし俺はそうは思わない。まだまだ破壊が足りない。

インターネットとサブプライムローンだけでは足りないのだ。

さあ、芸術を殺しに行こう。

それが今、俺の仕事だ。

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