2009年8月7日金曜日

自分のための3つの引用

不思議の国のアリス ルイスキャロル

「このあたりにはどんな人が住んでいるの?」
「あっちの方角には」と、猫は右の前足をくるっとまわした。
「帽子屋が住んでる。それからあっちの方角には」と、もう一方の前足をまわして、
「三月兎が住んでる。どっちか好きなほうの家へいってみるんだな。どっちも狂っているけどさ」
「でも狂っている人たちのところはいやです」アリスはきっぱりいった。
「なあに、そりゃ仕方ないさ」猫はいった。
「ここじゃ、みんな狂っているんだ。おれも狂っている。あんたも狂っている」
「どうしてあたしが狂っているってわかるの?」アリスはいった。
「そうに決まってる」猫はいった。
「でなけりゃ、ここへきたりはしなかったね」


僕はランチに出かける 間章

今生きつづけている人が何人いるだろうか?どの街もどの通りも世界じゅう生きている死人たちで満ち満ちている。本当のやさしさとも亡びともついに無縁の人たちで満ち満ちているのだ。
本当に生きつづけてゆくのは、単に生きていくことよりずっとむずかしい。だってちょっとでも気をぬけばもう<なしくずし>が待っているのだから。自らの地獄を直視し闘ってゆくものしか本当には生きてゆけないのだ。そして戦士には休息なんてありっこないし、ましてや永久革命者の悲哀なんてありっこない。
本当に挫折し、身を持ちくずしたことのないものにさびしさもやさしさもありっこないし、生きてゆくことの確かさなんてありっこない、だから僕は自信家 や自分がこれまで勝ちつづけてきたと思いこんでいる人間を軽蔑している。彼らこそもっとも大きな人生の落伍者なんだ。

僕はちょっとランチに出かける。
昔、僕の敬愛する人間にエリック・ドルフィーというサックス奏者がいた。彼は『Out to Lunch』というレコードを彼の早い晩年にレコーディングした。このエリック・ドルフィーから僕はとても多くのものと本当の闘いのひとつの場所と在り方を学んだ。彼こそ僕にとってはアナーキストだった。恐らくこの世にドルフィーのファンは五万といるだろうが、この男を本当に理解している人間はそのう ち一万人に一人いればいいだろう。
この冬に僕の評論集を出す話がある。ずっと今まで僕はそんなものを出したくないと思ってきた。でも今度は出そうと思っている。「ジャズの"死滅"へ向けて」(『ジャズ』および『ジャズ・マガジン』)の二年半の連載を経て、僕ははっきりと自分のひとつの季節を終えたと思うからだ。終ったものには墓標を立てなくてはならない。それはささやかなやさしさだ。

僕はランチに出かける。
それは闘いながら死んでいった者たちとの会食だ。
世界で一番強い酒でもさげてゆくか。多分それは水だろう。
きっと笑い声に満ちていて楽しいだろう。
だって地獄ほど楽しいところはまたとないのだから。やさしさのあるところには必ず亡びがある。そしてさらに言っておこう。亡びのない闘いはない。僕はその果てへこそ向かおうとしている。だがその前にちょっとランチに出かける。このランチには遅れるわけにはいかないのだ。


父と子 イワンツルゲーネフ
バザーロフが何者かと言うんですか?とアルカーヂイは薄笑いした。
じゃ、伯父さん、あの男が一体何者か、言いましょうか?
ああ、どうぞ。
あの男はニヒリストです。
え?とニコライ・ペトローヴィッチが聞き返した。
パーヴェル・ペトローヴィッチは、刃先にバターの固まりをつけたナイフを持ち上げたまま、動かなくなった。
あの男はニヒリストです。とアルカーヂイは繰り返した。
ニヒリスト。とニコライ・ペトローヴィッチは言った。それは、私の判断するところでは、ラテン語のnihilすなわち虚無から来ているようだな。するとその言葉は、つまり……その、なにものをも認めない人間を指すんだな?
なにものをも尊敬しない人間と言った方がいい。とパーヴェル・ペトローヴィッチは口を入れて、またバターの方へ取りかかった。
つまりすべてのものを批判的見地から見る人間です。とアルカーヂイが言った。
それは同じことじゃないか?とパーヴェル・ペトローヴィッチは尋ねた。
いえ、同じことじゃありません。ニヒリストというのは、いかなる権威の前にも屈しない人間です。周りからどんなに尊敬されている原理でも、それをそのまま信条として受け入れることはしないんです。

しかし今アルカーヂイ・ニコラーイチが話してくれたところによると、あなたはいかなる権威も認めないそうですが、これはどうしたわけです? あなたは権威というものを信じないのですか?
ええ、そんなものを認めてどうします?それに何を信じたらいいんです?何でも筋の通ったことを言われれば、それに同意します、それだけです。

バザーロフは言葉をひったくるようにして言った。人間というものはすべて自分で自分を教育しなくちゃいけない。たとえば、僕みたいなものさ……時代ということにしても、なぜ僕が時代に支配されなくてはならないんだい?時代の方でこそ、僕に支配されるべきだよ。だめだよ、君、それはみんな甘やかされているからだよ、中身がないってことだよ!それに男と女の間に、どんな神秘な関係があるというんだい?我々生理学者は、それがどういう関係か知っている。まあ君、目の解剖でもやってみたまえ、君の言う謎のような眼差しなてものが、どこから出てくるんだい? そんなことはみんなロマンティズムだ、戯言、腐敗、芸術だよ。

じゃあ、あなたのご意見では、一体何が必要なのです!あなたの話を聞いていると、我々は人類とその法則の外に置かれているようですな。とんでもない、歴史の論理が要求するのは……
そんな論理が何の役に立つんです? そんなもの、なくたって、やっていけますよ。
それはどういうわけだ?
どうもこうもありませんよ、あなただってお腹が空いているとき、パンの一切れを口に入れるのに、おそらく論理なんか必要とされないでしょう。我々にとって、そんな抽象論が、何の役に立つんです?
パーヴェル・ペトローヴィッチは両手をひとふりした。
そんなことを言われると、私はあなたという人間がわからなくなる。あなたはロシアの民衆を馬鹿にしている。わかりませんね、どうしてプリンシープルを、原則を認めないでいられるのか。あなたは何によって行動しているんですか?
伯父さん、前に言ったじゃありませんか、我々は権威を認めないんだって。とアルカーヂイが言葉をはさんだ。
我々は、有益だと認めたものによって行動するんです。とバザーロフは低い声で言った。今は否定が最も有益だから、それで我々は否定するんです。
何もかも?
何もかも。
なんですって?芸術や詩ばかりではなく……さらに……言うのも恐ろしいことだ……
何もかも。言い表し難い落ち着きをもって、バザーロフは繰り返した。
パーヴェル・ペトローヴィッチは彼を見つめた。こういうことは予期していなかったのである。アルカーヂイは満足のあまり顔を赤らめた。
しかし、失礼ですが。とニコライ・ペトローヴィッチが言い出した。あなたはすべてを否定している、いや、もっと精確に言えば、すべてを破壊している……しかし建設ということも必要でしょう。
それはもう我々の仕事じゃありません……まずはじめに、場所をきれいにしておかなくてはなりませんからね。
国民の多くがそれを要求しているんですよ。とアルカーヂイが面白く付け足した。我々はその要求を実行しなくてはならない。我々には個人的エゴイズムの満足に浸っている権利なんかはないんです。

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