2009年2月5日木曜日

考えなくていいのなら。

感性という言葉があるが、現代社会において感性は考えることから育つ面が非常に多いと思う。異常な感性なんていったりするが、そう易々とそんなものは手に入らない。異常な経験と異常な知識が異常な感性を育むのだ。で、異常な経験つったって、戦争も経験してない、革命も経験してない、こんな平和でのんべんだらりとした時代に、異常な経験なんてよほどのことがないと手に入らない。竹熊健太郎いわく「戦争を経験していない世代には戦争を経験している世代へのコンプレックスが確かに存在する」というわけで、俺は自分の異常な経験に基づいて作品を作るなんていってる奴はとっととタイムマシンでも作ってくれと言いたい。いまどき手を変え品を変え場所を変えたってよほどのことがない限り異常な経験など転がっていないのだ。そうなってくると異常な感性を育てるには異常な知識を放り込む以外に選択肢がないことになる。あなたがどんなに経験主義者であったとしてもこれは避けられない。とにかく貪欲に知識を取り込み続けた奴が異常な感性を手に入れていくのだ。そしてこの異常な感性こそが作家性であり、価値のあるものを作るための最も根源的な要素である。だいたい、ハンディカムで誰でも映像をとる時代である。量販店にデジタル一眼が売っている時代である。ライブハウスがお手軽な値段で借りれる時代である。あげくにデザインフェスタギャラリーやらGEISAIやら至れり尽くせりである。表現なんて余っている。いくらやったって異常な感性、特筆すべき異常さを持たないような作品なんか無駄である。無駄なものはゴミである。データだからゴミは出ないとか言ってもらっちゃ困る。ネットワーク上を流れるトラフィックはとめどもなく増大し、いろいろなところでゴミが迷惑をかけているではないか。あげくの果てに「自分の好きなことをやってるだけ、誰にも迷惑なんかかけてない」はっきり言おう。そんな奴が生きているだけで迷惑である。普通に働いてくれた方が経済的に価値があって、きちんとした人類のリソースになり、おまけに地球にも優しいのである。無駄な活動なんかやめてくれ。とはいえ自分自身がその範囲に居るのだから困ったものである。正論を振りかざして今日も情報を垂れ流すのである。やるせないこの気持ちから一日でも早く抜け出せるように願うばかりだ。

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