2009年1月11日日曜日

信じる、バランス。

人はそれぞれ自分のバランスを崩さないように生きている。ここでいうバランスとは細かい一つ一つの要素においてではなく、人間としてのバランスという大枠の話だ。バランスを崩すときというのは死ぬときである。そして、価値観が違うというのはこのバランスを取る場所が違うときのことをいう。たとえばBNEというグラフィティアーティストが居る。俺もこの間、初めて教えてもらって、それから知っていそうな人やインターネットで色々調べてみたのだが、どうやら「ボム」というタイプのグラフィティをする人なのだそうだ。彼はBNEと書かれたステッカーをとにかく世界中に「ボム」することによってグラフィティアーティストとして、あるいは「ボマー」としての活動を展開している。そして、その意味は誰にもわからない。俺はそれによって何か金銭的な、あるいは知名度的な対価を得ているのかと思っていた。しかしBNEはそれによって極端に何か対価を得ていることはないらしい。彼の名前はもちろんアンダーグラウンドでは有名だが、それによって彼がなにかの利益を得ている様子はないらしい。つまり本当に彼の活動は無意味さと紙一重なのだ。俺は自分の存在理由を揺さぶられる思いがした。それは紛れもなく芸術であると俺は思うからだ。そしてそれは俺がある種、理想としている芸術の姿であるからだ。そして俺は自分を守るために論理立てて反論した。彼は賢くない、なぜそれだけ知名度がありながらそれから価値を生み出す行動をしないのか、と。しかし理由はわかっている。それが目的ではないのだ。知名度を上げるのも、何かしらの対価を得るのも、BNEの行動原理には存在しないのだ。彼は文字通り「やりたいことをやっている」だけなのだ。普段は一般的な社会生活を営み、それ以外のときはBNEのステッカーを貼るという「やりたいこと」をやる。それでいいではないか。まさにその通りだ。激しく二人の俺が言い争いを繰り広げた。おまえの覚悟はそれくらいか。いや、これは覚悟ではなくバランスの問題だ。最終的に俺は、覚悟を振りかざして対価を求めずに活動するもう一人の俺を殺した。殺したのだ。そして俺は今、バランスを崩さずに生きている。俺は、少なくとも自分の生活が成り立つ程度には、魂を売ってでも金を稼ごうとするだろう。対価を得ようとするだろう。俺はそこまでを含めて芸術家になりたいと思っているし、そのバランスを信じて行動するだろう。それが正しいのかは、死ぬまでわからない。でも俺はそれを正しいと信じる。俺は俺のやりたいことで、金を稼ぎたい。それ以外の部分でバランスを取れるほど、器用ではないのだ。

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