2009年1月1日木曜日

現代詩唯一の生き残り。

文化は共通前提の崩壊と共にそれを理解するものと理解しないものとの間で亀裂を深めてきた。尖鋭的なわかりにくい表現はある程度の共通前提を共有した人々、つまりそれについて「お勉強」した人々にしか通用せず、外部に訴える力を失ってしまった。たとえその人物が詩壇での有名人であってもそれはただの「詩の世界の」有名人であり、それを超えるためにはその人のパワーが詩の世界では収まりきらないという要素が必要だった。俺は90年代にJ-POPが馬鹿売れした大きな要因に実はそれまで詩人になっていた人材の音楽への流出が大きな要因としてあったのではないかと思っている。ライブ的な、収まらないパワーを見せ付けられる要素を持ち、なおかつ詩に最も近かったのが音楽で、それまで虐げられてきた詩へのパワーが音楽の方向へ向かったのではないかと思うのだ。

さて、しかし、それでもなお音楽や他の分野に流れず詩の世界にパワーを注ぎ込んだ人物が居た。そして彼は現代詩唯一の生き残りだと俺は思っている。彼の名は三代目魚武濱田成夫。俺のつたない言葉でどんなに表現しようともほとんど何も伝わらないと思うので、googleなり本屋なりで調べてみてください。一つだけいえることは、これから先、表現者に必要なのは何を差し置いてもパワーであり、少なくともその一点において彼は特筆すべき人物である、ということです。

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