2009年1月12日月曜日

羨望と憧憬。

出発点からようやく進んで来て、どうにかたどり着いたこの場所ではあるけれど、足跡を一つずつ辿って戻ることは、走馬灯のように瞬間にできる訳で、それを考えることで、なにか思い出せることがあるのだとしたら、それを得るための感触、そのたくさんの記憶以外なにも存在しないはずの部分に何かを見出すため、必死に存在すらわからない何物かを探る感触、それを感じることは、やはり重要だと思い、それが、そんなことを感じることがいったい何になるのかと言われれば、それは確かにノスタルジー、過去への羨望と断定されても仕方が無く、それを今まで俺は否定してきたが、そしてもちろん、ノスタルジーは唾棄すべきものであるということは、紛れもない事実ではあるのだが、過去への憧憬は、やはり俺も感じる瞬間があり、そしてそれは不可分だと言われてしまえばそれまでではあるが、羨望と憧憬との違い、その違いという物を明確にするということが、まずは自分自身の過去に対してフラットな、この間の日記に書いたことを引用するとすれば、天使の視点への第一歩だと、最近は考えるようになった。

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