2009年1月25日日曜日

長期スパンで。

長い目で考えることが重要なのだと思う。明日何をしているのか。一週間後何をしているのか。一ヵ月後何をしているのか。一年後何をしているのか。十年後何をしているのか。それぞれについて考えることが必要で、でも悩み抜こうという人間は「死ぬまでに何をしているのか」と己に問うことが大切なのだと思う。人生は迷い道で、迷わずに突き進む人には相応の終着点が用意されている。それは適度に賢く、社会的で、安定した生活なのだと思う。逆に迷い続けて進む方向を決めあぐねる人には、終着点などは存在しない。賢く、あるいは愚かに、社会的で、あるいは反社会的な、安定を欠いた生活が用意されている。待っていると言ったほうがいいのかもしれない。だからこそ「死ぬまでに何をしているか」ということが取りざたされるのだ。逆に、安定した行程を辿り終着点に到達する人間にとって、それはわかりきった愚問でしかない。死ぬまで考え続けるなんて、長期もいいとこである。もはやそれが目的と成り果てている。しかし悩むこと、考えることが好きな人間にとって、迷うことは目的としても差し支えない魅力を備えている。だからこそ迷いながらもそんな道を選択する人間が後を絶たないのだろう。あるいは彼らが作ったものが評価されるように芸術という言葉が生まれたのだろう。近年、社会を見ていると、スパンはどんどん短くなっている。そして短くなるのと比例するかのように芸術という言葉が濫用されている。そんなときにこそ、本当に迷う人間たちは困惑する。芸術という言葉が埋める部分が大きくなればなるほど、たくさんの存在が世の中にあふれ、それらが同一平面上に扱われ、迷うことない道を進まされてしまう強制力を感じるのだ。そう、確かに世界は進歩してきたのだ。もはや人は「生きてるだけでもうけもん」と言える時代になってしまったではないか。今日さえ考えれば生きていける時代になってしまったではないか。でも、やはり俺は、死ぬまで考えたい。そのように生まれついたと自分を信じて、死ぬまで迷いあぐねていたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿