2009年1月23日金曜日

立ち上げる感覚。

DIYという言葉がある。Do It Yourselfの略語で、早い話が「自分一人で何でもやる」ということだ。この言葉は20世紀の中頃から至る所に現れ、世界を席巻した。特に音楽の世界ではその影響力はすさまじく、パンクやヒップホップはもろにその影響を受けている。これは端的に言えば技術と思想の進歩の結果である。楽器を弾けなくてもとりあえず持って音を出してしまう。今まで数多生まれてきた曲をサンプリングして音を出してしまう。技術と思想の革新に乗って、音楽はもはや誰でもコミットできる文化になったのだ。ってなもんである。そして技術と思想の革新はまだまだ波及している。いまや音楽だけではない。映画も会社も果ては政治までもがDIYの精神でもって一人で歩き出すことを許している。「ほしのこえ」を一人で作った新海誠、いたるところで生まれる個人事業主、東京都知事選に出馬した外山恒一などはその顕著な例である。そして俺はたぶんこのDIYの系譜に名乗りをあげたいのだと思っている。これからの時代、何をやるにしても、まずは自分動かなければ話にならない。もちろん、その時々に縁があった人と共同で動くことはいいだろう。しかし基本的に、まずは自分、自分が何をしたいのか、あるいは自分がどうなりたいのかである。それを信念として持っていたら、周囲に何を言われてもあとはそれをやり通すのみである。そんなときに、立ち上げる感覚というのは非常に重要になってくる。誰かから何かを引き受けるとか、あるいは誰かに何かを引き受けてもらうというのは、何かをするときに非常に多く遭遇するシチュエーションである。その時に、誰かから何かを引き受けたり、誰かに何かを引き受けてもらったりしたとしても、自分がそこにいて、立ち上げている感覚というものを、研ぎすまさなければならない。それは単なる技術論ではなく、それを超えた精神的な何かである。それさえあれば何かを成し遂げることはたぶん結果としてついてくるだろう。人生が終わるときにでも振り返ってみれば色々なものが残るに違いない。逆に、いくら大金を稼いだとしても、いくら社会的地位を築いたとしても、それがない人間を焼いた後には骨も残らない。少なくとも俺はそう考えるし、実際にそうなのではないかと思う。そして、その傾向はますます顕著になっていくはずだ。

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