2009年1月6日火曜日

小言と『演歌』とときどきファッショ。

俺が嫌いな古びた価値観。しかも、これらを感じる人はだいたい三つセットで感じる。逆に感じない人はどれも感じない。まあ小言も『演歌』もファッショ的に押し付けられるのでそういう時は絶望した気持ちになる。そして最近、特に絶望するのが『演歌』かな。なんで括弧でくくっているかというと、坂本龍一の発言から文脈を引用したいから。坂本龍一の言葉の要旨は確か「日本ではなんであんなに演歌がもてはやされるのか理解できない。オリコンチャートに入る曲も、俺の戦場のメリークリスマスも、あるいはちょっと洋楽が好きで聴いてるやつも、みんな『演歌』ばっかり聴いてる」みたいな感じ。言いたいことはすごいよくわかる。五年程前にミステリーが流行った時、ミステリーを競って書く人がいっぱい居て、俺は不思議だった。ミステリーを書くならばミステリーの枠を超えなければならないと俺は思う。トリックとキャラクターを入れ替えれば交換可能な作品を量産しても意味ないじゃんと思うのだ。まあビジネスと割り切ってやるならまだ理解できるが。個人的にはビジネスとして割り切った森博嗣は好きだけど嫌いだ。昨日べろべろに酔っ払って今朝二日酔いで思った。酒は好きだけど嫌いだ。と同じ感じ。そういう意味ではオリコン上位を狙う『演歌』もあるいみ好きだけど嫌いなのかもしれない。別に懐メロとかも聴くしね。でも移り変わりが激しすぎるかな。そんなに脊髄の反応が良くないんだよなぁ。

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