2009年1月7日水曜日

軽やかに自由に。

身体表現は少し間違えるとすぐに技術論に堕してしまう。芸術に求められるのがあくまで身体から出てきたもので、それを器に流し込むことが重要だとするならば、身体との距離が近いんだから当たり前なのかもしれないが、とにかく技術論が語られる。それの極端な例が伝統芸能だろう。本来、人は自由に踊っていいはずだ。自由に演じていいはずだ。自由に歌っていいはずだ。それなのにそこに上手、下手という価値観が入ってきてしまう。もちろんそれはひとつ、重要な価値観ではあるのだが。逆に、あまりにその価値観を退けすぎてしまったのが、詩の世界だ。いまでは上手い詩というものはこの世に存在しないことになってしまった。本当にそうだろうか。詩に上手、下手ひいては美しいという価値は存在しないのだろうか。俺は自分は美しい詩を書こうと思っている。そしてその価値観は良いと思っている。でも、それにこだわりすぎないことも重要だと考えている。俺の周囲の奴が書く詩は、みんな俺よりもよっぽど良い。上手いでも下手でもなく、美しくでもない。でも俺よりもよっぽど良い詩を書く。そしてそれは素晴らしいことじゃないかと俺は思う。だから俺は自由に踊る、自由に演じる、自由に歌う。自信を持って、誇りを持って。べつに踊ることも演じることも上手くはないし、美しい動きとは程遠いだろう。それでもリズムを感じたら踊ってしまうし、雰囲気を感じたら演じてしまうし、音楽が聴こえたら歌ってしまうのだ。それはとても楽しい。とてもこの世のこととは思えないほどに。

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